大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岡山地方裁判所 昭和55年(わ)778号 判決 1987年11月12日

主文

本件各公訴を棄却する。

理由

一  本件公訴事実は、次のとおりである。

(一)  昭和五五年九月二七日付起訴の分

被告人は、

第一  昭和五五年八月二五日午前零時二〇分ころ、岡山市大福《番地省略》の一有限会社甲野鉄工所事務所において、A子所有の現金約三〇〇円を窃取し、

第二  同年九月三日午前一時三〇分ころ、同市藤田《番地省略》乙山鉄工所事務所において、B所有の現金約三〇〇円を窃取し

たものである。

(二)  昭和五五年一一月一〇日付起訴の分

被告人は、

第一  昭和五五年七月初旬ころの午前三時三五分ころ、岡山市延友《番地省略》株式会社丙川製作所東側空地に駐車中の軽四輪乗用自動車内から、C所有の現金四、〇〇〇円を窃取し、

第二  同年七月二〇日ころの午前一時五五分ころ、同市福田《番地省略》先車庫に駐車中の軽四輪貨物自動車内から、D所有の現金約二、五〇〇円を窃取し、

第三  同月二七日ころの午前零時一七分ころ、同市浦安南町《番地省略》先車庫に駐車中の普通貨物自動車内から、E所有の現金約三〇、〇〇〇円を窃取し、

第四  同月下旬ころの午後八時三五分ころ、同市宮浦地内波止に駐車中の軽四輪貨物自動車内から、F所有の現金二〇、〇〇〇円を窃取し、

第五  同年八月中旬ころの午前三時ころ、同市妹尾《番地省略》先車庫に駐車中の軽四輪貨物自動車内から、G所有の現金約一五、〇〇〇円を窃取し、

第六  同月一五日ころの午後一一時五〇分ころ、同市浦安本町《番地省略》先路上に駐車中の軽四輪乗用自動車内から、H子所有の現金約一七、〇〇〇円、財布、自動車運転免許証各一点(時価約一、〇〇〇円相当)を窃取し、

第七  同月下旬ころの午前三時五分ころ、同市大福《番地省略》先車庫に駐車中の普通乗用自動車内から、I管理の現金四〇、〇〇〇円を窃取し、

第八  同年九月六日ころの午前二時三五分ころ、同市大福《番地省略》先車庫に駐車中の普通乗用自動車内から、J子所有の現金六、五〇〇円、財布一個(時価約五〇〇円相当)を窃取し

たものである。

(三)  昭和五九年一二月二七日付起訴の分

被告人は、昭和五九年七月二五日午前零時ころ、岡山市中撫川《番地省略》ピーエスコンクリート足守川架橋作業所事務所において、K所有又は管理のカメラ二台、ズームレンズ一個、フイルム一パック(時価合計約七二、八〇〇円相当)を窃取したものである。

二  被告人は、耳が聞こえず、言葉も話せない聴覚及び言語の障害者であり、しかも、学校教育や手話教育を満足に受けていないらしく、文字を読むことができず、手話も会得していない。

したがって、本件の審理を進めるに当っては、被告人に通訳人として手話通訳者を介しているとはいえ、筆談や手話によって被告人との意思の疎通を図ることは困難であるため、ほとんど通訳人の身振り手振りの動作によって被告人との意思の疎通を図ろうと試みてきた。

三  ところで、刑訴法一七五条は「国語に通じない者に陳述をさせる場合には、通訳人に通訳をさせなければならない」と規定している。この規定は、文言のみからすると、国語に通じない者に陳述を求めない場合には通訳人を付することを要しないようにも読める。

だが、同条はそのように限定するものではない。

同条の趣旨は、通訳により裁判手続に関与する者の間の意思疎通を図ることによって裁判の実質的審理を担保し、と同時に、訴訟関係者に攻撃防禦を十分に尽させることによって裁判の公正を確保するところにある。

とすれば、国語に通じない者が裁判手続に関与している場合において、通訳する方法、程度はその者の攻撃防禦を損なわない限度で裁判所の裁量によるとしても、通訳を要すべき事項の範囲は、その者が利害関係を有すると認められる事項のすべてに及ぶというべきである。それと同時に、その趣旨が理解できる程度に通訳される必要があることは当然である。

これを国語に通じていない被告人の場合についていえば、原則として、その手続で行われたすべての事項について理解し得る言語に通訳する必要がある。というのは、被告人については、当然のこととして、その手続で行われるすべての事項について利害関係を有するからである。

そのことはまた、最高裁判所昭和三〇年二月一五日第三小法廷判決(刑集九巻二号二八二頁)が「刑訴法一七五条の規定は、公判廷で被告人に供述を求め証人等を尋問する場合に適用されるほか、裁判等の趣旨を了解させるためにも通訳人を用いなければならない趣旨を含むものと解すべきである」と判示しているところからも、首肯できると思う。

現に実務では、そのような理解に即して運用されているのが実情ではないかと思う。

四  このような観点から本件における通訳の実態を視察するとき、刑訴法が求めている通訳の本来の役割を果し得ているとはおよそ評価することができない。

それはどうしてかといえば、被告人に対する通訳の手段は、ほとんど身振り手振りの動作に限られているからである。それゆえに、通訳人がいかなる努力を払っても、被告人には抽象的言葉や仮定的話法などの通訳はまったくといってよいほど不可能である。卒直ないい方をすれば、通訳人はおそらく匙を投げたい思いではなかったかと推察する。それほど、本件では通訳の有効性が極度に制約されているのである。

それに加えて、特に注意を要するのは、仮に被告人に通訳し得たと思われる事柄があったとしても、それが身振り手振りの動作を手段とするいわば通訳人のパントマイムによる以上、当然ながら正確性の保障を確保し得ないということである。この点を、見落すことは許されない。語の用法がきっちり決まっている外国語の通訳などとは比べようもないものである。すなわち、本件の通訳は、たとえば被告人に陳述を求める場合、通訳人の身振り手振りを通じて発問を伝達し、これに対する被告人の首を縦に振るといったごく単純な反応を手掛りにし、通訳人が自己の判断に基づき被告人の真意なりを推測しこれを日本語として訴訟関係人らに伝えるというものである。そのような通訳に、正確性の保障を見出すことは、所詮無理である。このことは、パントマイムを当てるゲームをした経験を有する者であれば誰でも、納得できるはずである。

ともあれ、こうした点を誤解がないように、以下、例証しておきたい。

(一)  まず第一に無視し得ないのは、被告人に対し、この刑事裁判において黙秘権を行使し得るという訴訟手続事項を理解させる手段がなかったということである。いいかえれば、被告人には通訳を介しての黙秘権の告知が不可能であったということである。

そのことは、通訳人藤原政江が、第三回公判期日において、被告人は「黙りなさい」ということはわかるのですが、「黙っていてもいいですよ」「答えなくてもよろしい」とか、「黙っていたければ、ずっと黙っていてもよろしい」というようなことは通じないようですと供述し、さらにまた、通訳人永野克巳も、第四六回公判期日で、被告人は「言いなさい」「黙りなさい」ということはわかりますが、「言いたくなければ」ということはわかりにくいと思いますと述べているところからして、明らかである。

このことからもわかるように、被告人に対しては、自己の意思に反して供述する必要がないなどといった抽象的な概念を、より具体的にかみ砕いた言葉に置き換えても、身振り手振りで伝えることは無理なのである。にもかかわらず、通訳を試みるとすれば、それは手続保障として当然に要請されるにしても、現実にはこのうえもない不可能を強いる結果を招いていることは紛れもない。

それにしても、被告人に対し黙秘権の告知が伝わらなかったという事実は、黙秘権及びその告知を法的にどのように位置づけるにせよ、少なくとも、被告人がこの刑事裁判において黙秘権を行使し得るということを知っているとは認め難い状況が明らかに存在する以上、これを単に、黙秘権の告知に努めたけれども伝えられなかったとしてのみ済ますわけにはいかない重要な事柄である。

ここでは事柄の重要性を指摘するにとどめるが、被告人が黙秘権の存在を知っているとは認め難い状況の存在というのは、次の点から判断すれば足りる。

すなわち、そもそも被告人は、自分自身がこの法廷でどのような立場に置かれているのか、つまり、自らが刑事裁判の被告人として審理を受けているということ、もっと端的にいえば、法廷で正面に相対しているのが裁判官、左側にいるのが検察官、右側にいるのが弁護人であるという観念を有しているのか、限りなく疑問があるということである。

そのことを示す資料として、第四七回公判調書中の被告人の供述記載を、そのまま提供する(なお、ある部分には注を付しておく)。この資料はまた同時に、本件における通訳の実態を余すところなく証明していると確信する。

裁判官

私がどういう職業がわかりますか。

通訳人(藤原)

(裁判官を指す等する)

被告人

(うんうんとうなずく)

通訳人(藤原)

(右手で親指を立てる)

被告人

(うんうんとうなずく)

通訳人(藤原)

わからないようです。「お父さんか」と聞いてもうんと言います。

通訳人(藤原)

(弁護士、検事を指でさした後、手のひらを合わせる)

被告人

(うんうんとうなずく)

通訳人(藤原)

みんな仲間みたいです。

(中略)

検察官

ここはどういう所ですか。

通訳人(藤原)

(家の格好をし、寝ている格好をし、歩く格好をした後、右手で人指し指を立てて裁判官、検察官、弁護人を指したりする等する)

被告人

(うんうんとうなずくだけである)

通訳人(藤原)

家があって、ここに建物があって色々人がいて被告人も来ていて、別の所ということしかわからないようです。

検察官

ここへ何しに来たのですか。

通訳人(藤原・永野)

(様々な格好する)

通訳人(永野)

来たかと聞くと来たというのですが、その後のことが出ないのです。具体的に例を出さないと被告人はわかりません。例を出して尋ねることがいけんと言われれば通じません。

通訳人(藤原)

(「一緒に遊ぼうじゃんけんぽん」と言いながら、じゃんけんぽんの格好する)

被告人

(うんうんとうなずく)

通訳人(藤原)

(「ここで御飯を食べるのか」と言いながら、食事をする格好をする)

被告人

(うんうんとうなずく)

通訳人(藤原)

来たことだけしかわかりません。被告人は抽象的なことはわかりません。先程の名前にしても、私が女の名前を示して、「あんたは何か」として引き出したのです。そういうふうに具体的なものを出さないと名前という抽象的なものは出てきません(注・この部分は同一期日における被告人に対する人定質問の通訳の状況を述べたものである)。

主任弁護人

前にいる人(裁判官)は新しい人かどうかわかりますか。

通訳人(藤原)

(手帳の二月一二日〔注・前回の公判期日の日を意味する〕の所を示し裁判官を指し親指を立てる)

被告人

(うなずく)

通訳人(藤原)

(左手の親指を立てて裁判官を指し、「同じか」と聞く)

被告人

(うなずく)

通訳人(藤原)

(顔の回りを示す)

被告人

(うなずく)

通訳人(藤原)

(両手を出して合わせ、「一緒か」という動作をする)

被告人

(うなずく)

主任弁護人

検事は新しい人かどうかわかりますか。

通訳人(藤原)

(両手を合わしたり等して「一緒か」という動作をする)

被告人

(うなずく)

通訳人(藤原)

こういう形の人という形でしか理解できないようです。それに「一緒」という概念が伝わりません。

以上であるが、これをみてもわかるように、被告人は法廷における自己の存在状況すら明確に認識していないのではないかということは、誰の目からみてもはっきりしていると思う。ましてや、黙秘権の存在を被告人が知っているとはまず認めにくい。先に、黙秘権の告知に努めたけれども伝えられなかったでは済まされない事柄であると述べた所以は、まさにそこにある。そのことを正確に認識しなければならない。

重ねていえば、それゆえにこそ、被告人に対する黙秘権の告知が実効性のある伝わり方をしなかったということ、それは、手続を維持するうえで、無視し得るものではない。

(二) 公判調書の上では、被告人は通訳を介して本件各公訴事実を一部に若干のくいちがいはあるが一応認めた形になっている。だが、これをそのままうのみにして自白があったと帰結してしまうことは、危険を生むおそれがある。

被告人の公訴事実に対する認否がどのような方法でなされたのか、記録からは必ずしも正確に読み取ることはできないが、おそらく、通訳人が被告人に対し、犯行の日時をカレンダーと模型の時計盤でさし示し、次いで場所を地図で指さし、さらに被害金額の硬貨の絵を書いて見せるなどし、被告人がその一つ一つに順次首を縦に振ったり指さしたりすると、通訳人は被告人が事実を認めていると判断してその旨通訳しているのではないかと推察される。

だがしかし、ここで忘れてならないのは、先に掲げた被告人の供述記載からしても容易に承知し得るように、被告人は通訳人の身振り手振りの動作による通訳に対して例外なくといってよいほど首を縦に振っているということである。この事実をどのように理解したらよいのか、卒直にいってわからない。ただ、われわれの経験からして、他者との会話で相手のいうことを聞く煩わしさから逃れるため不誠実にもうんうんと生返事をしてその場を繕うことはよくある。このことから推して、被告人は、他者との間に複雑な意思疎通を図る手段がなく、これを図ろうとすれば勢い負担が大きくなるため、その煩わしさを避けるためには迎合的にただ首を縦に振っておけばよいということを、これまでの生活歴の中で習性として自然に身につけたのではないかと思われる。

とすれば、被告人が通訳人の通訳に対して首を縦に振ったからといって、これを単純にイエスという意味に結びつけることは明らかに危険を招く。なによりも重要なのは、この点を正確に見定めておくことである。

そのことをいみじくも見事に明かしてみせたのが、第一三回公判期日における通訳人藤原政江に対する尋問である。

次の尋問が、それである。尋問の仕方ははっきりいってつたない。が、本件における通訳の実態を突いていること、それはなんとしても動かし難い。

主任弁護人

先生の通訳の中で、逮捕時間の零時一五分を夜の零時一五分というふうに通訳されていたようですが。

はい。

それは、夜ではなく昼間の零時一五分ですが。

すいません。聞きちがえていました。

特別弁護人

逮捕時間について、夜中に逮捕されたというように表現されましたが、そのとき被告人はうなずいていたりするわけですけれども、そうすると現実には通じていないということになりますね。

はい。

証人がしゃべっていることについて、実際は昼間逮捕されているんだけれども時間帯について「夜」と手話をされても本人がうなずいているということで、条件は全然ちがうんだけれどもそういうことで、ほとんど、いろんなことに関しても、通じていないということですね。

はい。

この例から明らかなように、被告人は通訳人の誤った通訳に対してもうなずいているということである。このことは、裏を返していえば、被告人が通訳人の通訳に対して首を縦に振ったからといって、それを訴訟関係人の発問を肯定したとか、あるいは伝達の内容を了解したとかの意思表示と評価して受け止めるわけにはいかず、たとえいずれかの評価を選択したとしても、正解を得ることはまず不可能であることを意味する。それがまた同時に、本件における通訳の正確性を担保する前提を欠く結果にもなっているのである。結局、本件においては、通訳の正確性の保障はどこにもない。

(三) 証人尋問における証人の供述内容も、断片的なことはともかくとして、それが意味あるものとして被告人に通訳することは不可能である。そのことは、通訳人藤原政江が第八回、第一〇回公判廷期日で述べているように、被告人は、証人がなになにと「述べている」ということ自体理解できないばかりか、証人の供述内容を伝えようとしても、通訳人の身振り手振りをみて、とかく自分が問い掛けられていると受け取って、自ら答えようとするなどの状況下にある以上、当然である。

それだけではない。検察官の冒頭陳述、検察官及び弁護人がする証拠の請求、これに対する双方の意見や裁判所の決定、論告、弁論など、すべて然りである。

残念なことに、被告人に最終陳述を求めることも、予測されていたことではあるが、望みうべくもなかった。「これで審理を終りますが、最後になにか特に述べておきたいことはありませんか」という発問は、やはり被告人には通じないのである。

五 このように、本件の審理の実態を通訳という側面から眺めるとき、通訳の有効性はほとんど失われているといわざるを得ない。そこに堆積しているのは、いうまでもなく、被告人を除く訴訟関係人が単に形式的に手続を踏んでいるという事実のみである。その意味で、本件の審理は常識ではおよそ理解し得ない状態に置かれているというほかはない。そのことはまた同時に、被告人に対する訴追の維持ないし追行が相当性の点で救い難い影響を受けているということにほかならない。

本件の審理には、昭和五五年一一月二五日の第一回公判期日から昭和六二年七月七日の第六六回公判期日に至るまで、実に七人の裁判官が関与してきた。そして、それぞれがそれこそ暗中模索の思いで審理を進めてきたであろうことは、推測に難くない。だが、今になって考えると、本件のようにまことに稀有な実例については、その法形式をどこに求めるかはともかく、実体審理をせず、もしくはこれを打ち切り、訴訟を終結させることもできたのではないかと思えてならない。あるいは、検察官による公訴取消が考えられてもよかったかと思う。

被告人は機能障害者である。その意味で、弱者である。弱者の発生は、いつの時代においても、いかなる社会においても、避けられない。それは割り切らざるを得ない現象である。だが、法の適用の場面では、慎重な配慮が要請される。誤解がないようにいっておくが、それはなにも、一種の似非ヒューマニズムで弱者の救済を図れなどと主張しているのではない。本件についていえば、通訳が本来の役割を担っていない現実を直視し、刑訴法は果して身振り手振りの動作による通訳を当初から予想していたのであろうかということを、正確に理解する必要があるといいたいだけなのである。

今こうして読み進めている判決の内容にしても、それこそ期待しうべくもない異変が起らない限り、被告人に通訳することは不可能であろう。それは、断じてよい。国語に通じない者に通訳人を付する趣旨は、先に述べた。だが一方で、このように被告人にいかなる判決の宣告があったかを理解させることができないとすれば、そこに生じる誰の目からみても容易に推認し得るごまかし難い自己矛盾を、どのように解決したらよいであろうか。

六 いずれにしても、先に述べたとおり、本件のような極限的事例においては、被告人に対する訴追の維持ないし追行は救い難い影響を受けているというほかはない。それはまた同時に、刑訴法が公訴の適法要件として本来当然に要求する訴追の正当な利益が失われているということである。

したがって、本件各公訴については、刑訴法三三八条四号を使って、公訴提起の手続自体が不適法であった場合に準じ、公訴棄却をするのが相当である。それ以外に解決する手段を見出すことはできない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木正義)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例